徒然なる世界史③ ファラオの呪いの正体
こんにちは~、たそです。
みなさんは、非科学的な事象を信じますか?
私は全く信じていないです。もちろん小さい頃はおばけが怖くて、ディズニーのホーンデットマンションで泣いていたくらいです。
しかし、大きくなるに連れて現象には何かしらの理由があると思うようになりました。
なんか夢がないですよね。ああ少年に戻りたい...
さてそんなことは置いておいて、今日は非科学的な事象であるファラオの呪いの正体を突き止めて見たいと思います。
- エジプト文明
- ファラオの呪い
- まとめ
1.エジプト文明
まず始めに、エジプト文明について見てみましょう。
ヘロドトスが『歴史』で「エジプトはナイルの賜物」と述べたように、エジプトはナイル川の恩恵のもとに成立しました。
始めは、ノモスと呼ばれる政治的単位の集落群がいくつか存在していましたが、メネス王が統一をしたと伝えられています。
その後に、エジプトには30もの王朝があったといいますが、そのうち最も栄えたのが古王国、中王国、新王国の各時代です。
まず古王国時代といえば最も有名なのが、ピラミッドの建設でしょう。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の各ピラミッドは「ギザの三代ピラミッド」と呼ばれています。最も大きいものがクフ王のピラミッドだということは覚えておきましょう。
次に中王国時代です。
この時代は、中央集権化と官僚組織の整備が急激に進んだ時代です。
しかし、末期には遊牧民のヒクソスが侵入し、混乱をもたらしました。
最後に、新王国の時代です。
この時代は、新たにもたらされた馬と戦車によって活発に対外進出をした時代です。
とりわけトトメス3世はエジプトの最大版図を成功した人物です。
この成功は、首都テーベの主神アモン神の恩寵だとされ、アモン神は人々に進行されて神官たちも権力を握るようになり、王権を脅かしました。
このことに危機感を抱いたアメンホテプ4世は、アトン神を唯一神とする宗教改革を行い、アモン神の都テーベを捨てて、新都テル=エル=アマルナに遷都しました。
しかし、あまりにも急激な改革は、彼の死後挫折することとなるのです。
そして、次王としてツタンカーメンが即位することとなります。
このツタンカーメンがファラオの呪いの元となるのですが、詳しくは次項で見ていきましょう。
2.ファラオの呪い
まず、ファラオの呪いを知らない人に説明をすると、ツタンカーメンのお墓の発掘調査に関わった人物とその周囲がことごとく亡くなってしまったということです。
正直恐ろしいですよね...
詳細について見てみましょう。
イギリス人貴族のカーナヴォン卿の支援を受けて10年もの間ツタンカーメンの墓を探し続けていたハワード・カーターと調査隊は、1922年11月4日についにその手がかりを発見しました。
そして2月17日にその封印が解かれます。
この世紀の大発見にマスコミや旅行客が殺到することとなったのです。
しかし、世紀の大発見から不幸が続くのです。
カーナヴォン卿は蚊の刺し傷から敗血症となり死亡し、その愛犬も突然死してしまうのです。さらに、カイロで大停電が起こり、墓を見た旅行客がタクシーに轢かれて亡くなり、ルーブル美術館の高齢エジプト学者も死亡します。この後も関係者が死亡するごとに、マスコミは「ファラオの呪い」と報道したのです。
もうおわかりの方もいるかもですが、ここで、皆さんの不安を拭うためにファラオの呪いの正体を言及しておきます。
正体は...
「マスコミの報道」です。
先述の通り、多くのマスコミが殺到したことにより、調査隊は一社と契約して専属で情報を共有したのです。
もちろん他社は諦めません。
そこで、生まれたのが「ファラオの呪い」と言う言葉です。
目を引きますもんね。
直接には関係のない事柄までもが「ファラオの呪い」とされ、「ファラオの呪い」が独り歩きしてしまったのです。
3.まとめ
さて、現代において情報はありふれたものであり、誰でも手に入れることができるものです。
しかし、そのすべてが正しいものとは限りません。
私達には、情報を精査する力や情報について向き合い考えることが必要なのでしょう。
情報の手のひらで踊らされるマリオネットにならないためにも...