徒然なる世界史① ホモ・サピエンスということ
はじめまして、たそと申します。
昨今、ITやロボット産業が発達して、先の見えない未来とともに近い将来には私達の仕事はロボットに取って代わられているとも言われます。
子どもの頃に望んだような、ロボットが産業を担う将来の形ではあるものの、その思いは裏腹です...
さて、そんなロボットとは対象的に、私達は感情を持つ人間味あふれるホモ・サピエンスです。
しかし、人間味とは一体なんでしょうか。
今回は、人間味について、ホモ・サピエンスに焦点を当てて考えて行きましょう。
1.人類の誕生
今日において、人類がサルから進化したということは周知の事実でしょう。しかし、このことが受け入れられるまでには多難な日々があったでしょう。
キリスト教世界観では信じられない事実ですもんね。
ダーウィンの勇気に敬服です。
さて、直立二足歩行と道具の使用のスキルを手にしてレベルアップしたおサルさん、
猿人→原人→旧人→新人
このような進化の過程を耳にしたことはあるでしょう。
しかし、旧人と新人の脳容量を比較してもお互い約1300cc程で、なんなら旧人の方が多いくらいです。
なので、最新の研究では
猿人→原人→旧人
→新人
と、原人が旧人と新人に分岐したと言われていますね。
では、そんな旧人と新人について見てみましょう。
2.ネアンデルタール人の情操
ドイツのネアンデル谷(谷をタールという)出身です。
そんな彼らですが、驚くべきことがあります。彼らの遺骨には致命傷になった傷等がないと言うじゃないですか。さらに、埋葬を行ったということが調査からわかっています。
しかも推定40代の遺骨も発見されているそうです。この時代ではとても長生きです。
これらの事実から彼らがどんな人々だったのか推測できるでしょう。
まとめると、
彼らは争いをせず、老人をいたわりながら、誰かが亡くなっては故人との思いに耽りながら、丁寧に埋葬をしたのでしょう。
思いやりの心を持った彼らは、現代人よりも人間らしいのかも知れませんね。
3.ホモ・サピエンスの人間味
最後に、我々と直結するホモ・サピエンスについて見ていきましょう。
ラテン語で「賢い人」の意をとるホモ・サピエンスですが、賢さとは一体何でしょうか。
発掘調査の結果、発見された遺骨からは刺さった石器などがあり、争いの跡が確認されます。
ないものはあるところから奪えばいい、自らのコミュニティに属していなければ敵も同然なのでしょう。
悲しいことにコミュニティを守り、コミュニティ同士で対立をする我々らしくもあります。まぁ我々なんですけどね...
我々はコミュニティのための活動を考えます。ここに賢さの一端があるのでしょう。
4.まとめ
旧人と新人、どちらも人間味あふれる人類です。どちらが良い悪いではないでしょう。どちらも生活上で得た人間らしさです。
そのうえで、個人として、人が人らしく生きるために、我々は考え続けなければならないと思います。